専門家の教示

 


本題ですが,小林様の書かれた「させていただきます」考についてです。まず(2)において「『敬語総論』といったタイトルの本があれば教えてほしいものです。」と書かれてますので,それから紹介させて頂きたいと思います。大石,南の著書も有名ですが,敬語というものは時代によって大きく変わるものであるという性質を考えますと,菊池の文献を入手して手元に置かれることをお勧めします。(ところで,ここまで二カ所「させて頂く」を使っていますが不自然でしょうか?)

◆大石 初太郎1975『敬語』筑摩書房.
◆南 不二男1987『敬語』岩波書店(岩波新書).
◆菊池 康人1994『敬語』角川書店(1997講談社学術文庫).

さて,本論に入ります。(2)の部分での「上の退職願のケースで云えば、年下の人が年上の人に謙譲語を使うのは失礼です。」という説明は理解しかねます。どのようなケースであっても,目下から目上に向かって謙譲語を使って不適切になるということはあり得ないはずです。問題になるとすれば,代替できる尊敬語があればそれを用いた方がよいという程度だと思われます。むしろ,目上から目下に謙譲語を使う方が,本来の日本語のシステムからすれば誤用だということになります。それが,日本人ビジネスマンの美徳という考え方もありますが・・・。

次に(3)ですが,この場合の「させる」は「好意的な許可(恩恵)を与える」という機能を持ちます。「させる」には強制使役と許可使役があり,前者はヲ使役文,後者はニ使役文とも言います。

1.
 両親は(いやがる)息子〔を/?に〕留学させた。
2.
 両親は(本人のたっての希望なので)息子〔に/?を〕留学させた。

「を」を取るか「に」を取るかの違いですが,( )内の注釈が無くとも,1は「無理矢理」という解釈が強いのに対し,2は「費用を捻出してでも」という解釈が先立ちます。「かわいい子には旅させろ」で「に」が使われる理由と同じだと思って頂けるとよいかと思います。

ですから,「させていただく」は「相手の許可(恩恵)を得て〜ことを許してもらう」という文型になり,一種の複合的な謙譲語になるわけです。つまり,かなり敬意の高い表現だということになります。「いたします」を是とする感覚は理解できますが,それは他の要因から引き起こされる感覚であり,「させていただく」という形式自体は,「いたします」よりも敬意の高い表現となります。例えば,先輩など年上の人からの結婚式の招待に対する返答で,

3.
 出席いたします。
4.
 出席させていただきます。

のどちらが適当か?という問題です。この場合は,間違いなく4だと思うのですが,いかがでしょうか?

問題の「明日は休業させて頂きます」が不自然なのは,「敬意の対象がハッキリしない」ということに起因します。つまり,「させていただく」の基本が「相手の許可を得る」ことにあるはずにも関わらず,結局は勝手に休むのです。この種の「させていただく」について,「問題なし」とする人は「許しを請うている感じがしてよい」のでしょうし,「問題あり」とする人は「結局は許可を得ずに自分の範囲内で済ますだから無礼だ」と思うわけです。

ただ,こうした「敬意の対象がハッキリしない」場合は,許可の得ようがありません(「休業」の例なら,不特定の顧客全員にアンケートをとることは不可能)ので,小林様の指摘のように潔く「いたします」を使うのも一つの答えです。ただ,この場合に「いたします」が適切なのは,目上・目下の問題ではなく,「敬意の対象がハッキリしない」ことに起因するのです。

別の視点でも考えてみましょう。「お陰様で,今の職場にもう10年も勤めさせて頂いております。」は,会社の同僚や就職の世話になった人に使うのは適切ですが,社外の人に対して使うと,むしろ自分の会社を高めているように聞こえ,不適切になります。こうした,「身内/他人」という尺度を「親疎関係」といいます。敬語表現は「上下関係」だけではなく,「親疎関係」からも考える必要があります。

一方で,「させていただく」の使用が不適切な場合もあります。それは,敬意の対象がハッキリしており,本当に許可を得る必要がある場合です。(4)の「退職」や(7)の「実行」「キャンセル」がこれにあたります。許可の内容によるのですが,「許可されるのが当然」の場合は「させてください」を用い,「許可されるのが当然かは不明」の場合は「させていただきたいのですが,よろしいでしょうか?」や「させていただけないでしょうか?」のように相手の意向を尋ねる表現にする必要があります。

もし,本当に「させていただく」に常に「いたします」に置き換えられるのなら,「今月末をもって退職いたします」になるはずですが,(4)の「正しい表現」と小林様が書かれている部分では「今月末をもって退職させていただきたく,よろしくお願いします」となっています。つまり,「いたします」に置き換えられるのは「敬意の対象がハッキリしない」場合であり,「退職」「実行」「キャンセル」で「させていただく」が不適切な場合とは異なるわけです。

ちなみに,いくら「今月末をもって退職させていただきたく,よろしくお願いします」と言い換えてもいきなり相手の許可も得ずに退職届を出すのは失礼で,やはり「今月末で退職させて頂けないでしょうか?」と切り出し,その後に理由を述べるのが適切だと考えられます。

最後に(8)の「ガイド」と「司会」の例は,「敬意の対象がハッキリしない場合」「相手の許可を得る必要がある場合」のどちらにも当てはまらないため,「させていただく」が不適切になる理由はありません。敢えて言うならば,後者の「相手の許可を得る場合」なのでしょうが,「ガイド」も「司会」も既定の事実確認なので問題ないと考えられます。

以上のように,日本語文法の観点から,「させていただきます」が過剰敬語なのか否かについて説明させて頂きました(どうでしょう?不適切ですか?)。私自身は「休業させて頂きます」は「問題なし」で,「(部下が上司に向かっていきなり)明日は休ませて頂きます!」は「問題有り」だと考えます。実は二つの要因が絡まっているのだということを理解してくだされば幸いです。長文失礼いたしました。